
●自分の街を愛するように愛すること
2018年7月に発生した西日本豪雨災害をきっかけとして「INOLIN JAPAN(いのりんジャパン)」は設立されました。どこまで出来るか?何が出来るか?はじめて被災地に入った時にあまりにも甚大な被害を目にして涙が止まりませんでした。そのような中で団体設立前に行っていた物資支援から様々な人を通じてこども支援をさせていただくことになりました。代表は5人のこどもを持つ子育て世代ということもあり、「これなら出来る」と出来そうなところからスタートしました。
職人としての経験、病院で勤務していた経験、清掃のバイトをしていた経験、そんなすべての経験が被災地での活動では役に立つことも多く、自分の街がもしこうなったらどうしてほしいだろうか?と考え、自分の街を愛するように「町」という視点で被災地支援に関わりました。家がリフォーム出来ても家の前の側溝が泥で埋まっていて排水がスムーズにいかない。災害ゴミが山のようにあったところの周辺なガラスや釘が落ちていて危険。そんな状況を改善するために行政、地域と連携して様々な活動を展開しています。
活動の中で気づき、ボランティアとして助けに来てくださる方に共有させていただいていることのひとつに「ここは被災地であって観光地ではありません。」ということがあります。心を切り替えないと、感情的になっていては自分がもたない。非日常でテンションが高くなるなどいろいろな心理が働く中で被災した建物の前で観光地に来たように写真撮影をされる人を見て地元の方が悲しい思いをされていることを知り、自分もいい思いはしないと受け止め、町を愛するということは自分がしてほしいことをすること、あまりにも規模が大きいため町の人だけではどうにも出来ないからこそ、助けるための杖として自分達が来させていただいていることを想いの中にいれてひとつひとつの活動に取り組んでいます。
●泣く人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜べるように
災害支援に関わるようになり多くの涙を見、また私たちも流してきました。自分達ではどうしようもない壁にぶつかりどうしていいか分からない状況から、全国から、時には海外からも多くのボランティアの方が被災地での復旧作業にあたってくださいました。現地での活動とともにボランティアの方の宿泊の段取りや日程調整も緊急期には行っていました。現在の復興期おいても真備町にはまだボランティアのちからが必要な課題があります。その中で多くのものを失った喪失感や悲しみの涙だけでなく、人と人とのつながり、感謝の想いや感動を覚える中で流れる涙が増えていると実感しています。そして共に喜び合える未来に一歩づつでも近づけるように人と人とのつながりを大切にしています。
●共に考え共に歩む、いかに寄り添えるか
災害の記憶は上書きされ、多くの人々はもう復興して終わったとどこかで思い込んでしまうように変化しても一度大きな災害があった地域には多くの課題や助けが必要なことが多くあります。被災地にとって忘れられるということは本当に大きな問題です。
他人事ではなく自分のことして考える時に多くの行動や想いが生まれてきます。手探りで進んできた緊急期、そして中長期、復興期とプロセスが変わる中で、また各地で災害のニュースが流れ緊急対応する中でこの「忘れられる」というテーマを肌で感じてきました。そのような中で地域や行政の方と共に考え、共に歩み続ける中で困った時に相談出来る関係と距離感の大切さ、いかに寄り添うことが大切なのかということを実感しています。